第5章究極の選択

10.NKK(旧日本鋼管)に入社順調な起ち上がりから奈落の底に

まず、日本鋼管(NKK、現JFEホールディングス)からLSI開発の業務委託を受注しました。当然のこととして、発注する側は創業間もないベンチャーに開発の達成を担保させるため、資本の過半数を持ちたいと要求されましたが、要求を断ると、今度は半導体の知識を得るため進藤自身がNKKに入社するという条件になりました。
注文がなくては会社がもたない、進藤はそう決断して経営を後継者に任せ、自分は単身でNKKに入社することにしました。この年、メガチップスは従業員24名となり売上高5億円、経常利益2,800万円を達成し順調に起ち上がりました。NKKに入社した進藤は技術者の育成を行うとともに電子デバイス研究所の起ち上げに尽力し、2年後にメガチップスに復帰しました。

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その頃バブル崩壊による不況が始まっていました。受注した仕事にも次々とキャンセルが発生。一方でメガチップスを買収したいという話もあり、社員に動揺が広がりました。大手企業の傘下で継続を図るか、自主独立で歩むか。メガチップスに「究極の選択」が迫っていました。

  • 1991年(平成3年) バブル崩壊
  • 1991年(平成3年) 湾岸戦争が勃発

11.有馬会議究極の選択とメガチップスの価値観

自主路線か大手企業の傘下かという究極の選択に、進藤は次の3点を提案しました。

  1. 人生の重みは全員平等。したがって全員参加の議論による決定を行う。
  2. 自分の価値観、意見を押し付けない。そのため経営理念、行動指針、経営原則などの各自の価値観を書いて事前に提出してもらう。
  3. 究極の選択の拠り所とする経営原則を決めて、それに基づいて会社としての最終判断をする。

当時の社員21名全員が有馬温泉に集まり、1泊2日で討論しました。進藤の目的は、全員が参加した議論を通して、メガチップスの経営の原則を確立することでした。遠回りのようでも、皆が共有できる価値観が一番大切だと考えていたからです。

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長い討論の後、別室で控えていた進藤が呼ばれました。議論を尽くしても「安定継続」の道をとるか、「自主独立路線」で進むべきか、平行線のまま決まらないので、結論を出してほしいとのことでした。進藤は「これだけ議論を尽くしたら多数意見が正しい」と、即座に議決を取りました。結果は自主独立と決まりました。後日、意見が違った数人は会社を去ることになりましたが、残った者は再び一丸となりました。このときの経営理念と原則はいまも継承されています。ちなみに、経営理念は以下の通りです。

  • 「革新」により社業の発展を図り、
  • 「信頼」により顧客との共存を維持し、
  • 「創造」により社会に貢献し続ける、存在でありたい。

経営原則は、

  1. 会社の発展と社員の幸せの一致を図る。
  2. 自主独立で発展する。

この経営原則の2.で懸案だったメガチップスの進むべき道を自主独立路線と決定したわけです。
そして1994(平成6)年、メガチップスの発展の転機となる「Nintendo64」専用のマスクROMの開発を受注しました。進藤はマスクROMの製造先を台湾のマクロニクス社(MXIC:Macronix International Inc.)に決めました。シリコンバレーで会ったVTI(VLSI Technology, Inc.)のMiin WuとTom Yiuが興した会社です。進藤とWu氏、Yiu氏との話し合いで、両社の協力関係の話がまとまり、メガチップスは「研究開発分野に経営資源を集中して、生産は外部委託する」という国内初のファブレス企業へと大転換を果たしたのです。

  • 1991年(平成3年) 世界初のWorld Wide Webページが開設
  • 1991年(平成3年) ソビエト連邦崩壊

12.阪神大震災天災から生まれたアイデア

1995(平成7)年、阪神・淡路地区を激震が襲いました。通信網が遮断したなか、社員が必死に安否を確認し合いました。全員無事でしたが、約1/3の社員が避難所生活を余儀なくされたり、交通網がズタズタで通勤不可能な状態でした。出社できる人達が力を合わせてオートバイで食料や水を届けたり、怪我をした家族にはホテルを確保して治療が受けられるようにするなど、苦境の中にあって社員同士が助け合い、その絆がいっそう強まりました。

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全員が出社できるようになったある日、製品開発会議で、避難所生活を体験した開発者から提案がありました。道路や避難所などあらゆる場所に設置でき、無線や電話の通信回線で画像伝送ができる小型の動画伝送専用システムを作りたいという提案でした。こうして生まれたのがリアルタイムビデオコーデック(RVC)という画像伝送システムです。
この製品の事業化で1996年、経済産業省(当時通産省)から特定新規事業法による認可を得て、国内初のストックオプション第1号企業に認定されました。新製品も次々に発表。パソコンを使わない専用動画伝送システムのパイオニアとして業界から高い評価を得ました。そして翌年、会社成長の契機となったNintendo64とメガチップスの画像圧縮伸張ボード「PC-RVC」は、日経産業新聞<優秀賞>を同時受賞しました。

  • 1995年(平成7年) 阪神淡路大震災
  • 1995年(平成7年) 地下鉄サリン事件
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