第6章ジャスダック、そして東証1部に上場

13.永続企業としての一歩ストックオプションを実施してジャスダックに上場

メガチップスは、Nintendo64に特化した専用マスクROMの供給で急成長を続けました。進藤は、1994(平成6)年に日本合同ファイナンス(現JAFCO)から出資の申し出を受けたことを契機に、次の目標を株式の上場に定めました。まず、社内に株式公開準備チームを編成し、主幹事になる野村證券とあさひ監査法人とで準備を始め、あわせて経営原則の一つである「会社の成長と社員の幸せの一致」を実行するため、ストックオプション付与の体制づくりに着手しました。
ストックオプションの実施には、定款の変更や付与プロセスの開示、公平性の確保が必要です。新設したストックオプション審査委員会で規定を定め、各部署から推薦された候補者を審査しました。97年に最初の21人に、翌年に第2陣を実施して「全社員が株主になる」を実現しました。業績は引き続き順調に推移し、1998年8月、ついに店頭(現ジャスダック)市場に上場しました。「永続企業への脱皮」、創業から社員とともに目指した「自立」と「会社の成長と社員の幸せの一致」という経営原則が同時に実現できたのです。

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  • 1998年(平成10年) 長野冬季オリンピック
  • 1998年(平成10年) Windows98が発売

14.やりたいことをやり遂げる後継社長を育成し、経営から身を退く

上場の目的の第一は、日本初のファブレス半導体企業として成功し、同じビジネス・モデルを目指すベンチャーに良い先例を示すことでした。第二の目的は、ストックオプションの第1号認定企業として、この制度を定着させて社会的責任を果たすこと、そして第三は会社の経営基盤を強固なものとし真に自立させることでした。
進藤はジャスダックに上場したあと、東京証券取引所第一部に上場したいと思っていました。また、会社が増収増益を続けている中で、代表取締役社長を退き、後進に経営を引き継いでほしいと願っていました。
上場当日、会社に戻った進藤は、松岡専務を呼び「私は20世紀の人間だ、21世紀になる2000年の株主総会を機に退任するので、後はあなたと創業メンバーが力を合わせて経営してほしい」と告げました。60歳での退任宣言です。その一方で、60歳からの10年間で新たに何かに挑戦したいと考えていました。
後日譚ですが、メガチップスは松岡新社長のもと、2000(平成 12)年12 月に東京証券取引所市場第一部への上場を果たしました。
また、いち早くストックオプションの制度を導入するなど、人を重視し大切にする人材が資産という考え方は、当時からメガチップスの基本理念でした。この考え方は今も脈々と受け継がれ、当事者意識を持って自らの意志で行動する自立型人材の育成や、社員の声を積極的に経営に取り入れる風通しのいい自由闊達な社風につながっています。

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  • 2000年(平成12年) シドニーオリンピック開催
  • 2000年(平成12年) BSデジタル放送開始
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